苦難の時代を迎えて

昭和戦時期

統制経済下の商工会議所

昭和12年7月、日中戦争が勃発すると、時局は戦時体制へと転回していった。そして国家総動員法が実施された後は、経済界もますます統制色が強まり、商工会議所も国策への協力を強いられたのである。しかし、統制経済下にあって、国民経済の総力を軍需生産と生活必需品の確保に当てるには、当時の商工会議所法では限界があり、抜本的な改組が必要であった。 八王子商工会議所においては、中小企業再編成・商店街の空地計画・生活必需物資の配給応急策・生活必需品消費機構の組織強化等の問題が山積みしているにもかかわらず、側面的支援以外は何もできず、時として商工会議所無能論さえ起こってきた。そこで八王子商工会議所は、商工会議所を国に移管して「国民経済指導所」を設立し、国が経済全般を指導し、目的達成に努力すべきであると、全国に呼びかけたのであった。 太平洋戦争が始まり、統制がいっそう厳しくなった昭和18年、「商工経済会法」が制定・公布され、全国144の商工会議所は解散、47都道府県単位の商工経済会に再編された。八王子商工会議所は、「東京都商工経済会八王子支部」となって発足した。

空襲によって市街地は焼け野原

空襲を受けた八王子市街
空襲を受けた八王子市街(昭和20年)

戦時期の統制経済下のなかで、八王子商工会議所は、商店従業員の資質向上・小売店業者の保護等に尽力した。また国策に従って、商店法施行・中小商工業者の精神高揚対策・新商業道徳樹立そして戦力増強のための企業整備等に協力したが、それも昭和20年8月の終戦までであった。八王子は8月2日未明、米軍爆撃機B29(169機)の2時間にわたる空襲を受け、市街地の約90%が焼失、焼け野原となったのである。

焼け野原と化した八王子市街
空襲により焼け野原と化した八王子市街(昭和20年)

年表

昭和16年(1941年)
  • 3月 蚕糸業統制法公布
  • 6月 第10代会頭に小林吉之助就任
  • 12月 太平洋戦争始まる
昭和17年(1942年)
  • 2月 衣料に点数切符制実施
昭和18年(1943年)
  • 3月 商工経済会法公布
  • 7月 東京都制施行
  • 10月 八王子商工会議所、東京都商工経済会八王子支部として発足  全国商工経済会競技会設立
昭和19年(1944年)
  • 10月 東京都商工経済会八王子支部、「生活必需品配給委員会(仮称)」設置
昭和20年(1945年)
  • 第11代会頭に土屋留次郎就任
  • 8月 米軍機八王子市を空襲、市内の大半が焼失
  • 8月 ポツダム宣言受諾、戦争終結
  • 10月 全国商工経済会、日本商工会議所に改編
昭和21年(1946年)
  • 4月 東京都商工経済会八王子支部主催の商業復興大会開催
  • 9月 商工経済会法廃止により東京都商工経済会八王子支部解散
  • 11月 社団法人日本商工会議所設立
  • 日本国憲法公布(昭和22.5施行)
  • 八王子商工会議所設立総会開催
  • 12月 東京商工会議所設立
昭和22年(1947年)
  • 4月 労働基準法、地方自治法、独占禁止法各法公布

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