高度成長期
もはや戦後ではない
昭和31年度の経済白書は「もはや戦後ではない」と規定、「今後の成長は近代化によって支えられる」とし、技術革新と近代化による経済成長が目標だと記した。八王子商工会議所もこの方向に向かって進んでいった。
その方針は、基幹産業である繊維産業のいっそうの合理化・近代化を図るための産業構造の改善、漸増する消費者の購買意欲を満足させるための環境整備、流通の近代化と外来資本の流入や消費者動向の変化に対応する商店街の再開発等であった。 そして中小企業の合理化と近代化を図るため、地域商工業者の電算機の共同利用を目的とした「みなさまの電算室」が設置された。また産業公害が激増したことから環境公害を重視し、「産業公害相談室」を開設して生活環境の保全、産業公害の防止に当たるなど、地域社会の発展に貢献した。
商工会議所会館の建設
商工会議所の建物は空襲で焼失したので、戦後は八王子撚糸協同組合(南新町10番地:当時は「東京都撚糸工業協同組合」)事務所の一部を借用、仮事務所とし業務を再開していたが、昭和23年、戦前の場所(本町66番地)に新築移転した。その後、この場所は、社会環境の変化に対応できず(駐車場を設ける余地もなく、将来を想定すると手狭である)、別の場所に会館を新築することになった。
敷地を現在の会館所在地(大横町59番地)に決定し、38年11月、土地1,037㎡(314坪)を2,513万円で八王子市住宅協会から購入、新築した。建築延べ総面積1,389㎡(420坪)・建設費9,400万円であった。会館の落成式は、八王子商工会議所創立70周年記念式典と併せて盛大に挙行された。
年表
- 昭和31年(1956年)
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- 10月 第13代会頭に新倉源蔵就任
- 11月 八王子観光協会発足
- 12月 八王子商店連盟、協同組合八王子商店連盟と改称
- 昭和32年(1957年)
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- 2月 商工会議所マーク制定
- 昭和33年(1958年)
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- 3月 八王子・日野地区、首都圏整備法により衛星都市に決定
- 11月 関東商工会議所連合会結成
- 昭和35年(1960年)
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- 6月 八王子駅北口広場に買継商組合によって
- 「織物の八王子」タワーが完成(37年市へ寄贈)
- 昭和38年(1963年)
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- 7月 中小企業基本法公布
- 昭和39年(1964年)
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- 10月 第18回オリンピック東京大会開催
- 昭和40年(1965年)
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- 12月 八王子商工会議所会館新築竣工
- 昭和41年(1966年)
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- 4月 メートル法完全実施
- 8月 八王子青年会議所設立
- 9月 「会議所だより」100号を発行
- 昭和42年(1967年)
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- 11月 八王子市、当会議所、
- 商店連盟共催「八王子商店従業員接客技術講習会」開催
- 12月 中央自動車道、八王子~調布間開通
- 昭和43年(1968年)
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- 5月 消費者保護基本法公布
- 7月 第8回八王子まつり開催(36年に始まった「市民祭」を改称)
- 10月 旧会議所跡地に有料駐車場を開設
- 昭和44年(1969年)
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- 5月 八王子織物の年間総生産額257億円に達する
- 9月 長崎屋と伊勢丹百貨店、八王子に進出
- 昭和45年(1970年)
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- 6月 当会議所コンピュータ共同利用のため「みなさまの電算室」として操業開始
- 10月 当会議所「会員共済制度」実施